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用户:Ghren/中国目录学1

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南宋陈振孙による私撰目录。个条书きのタイトルが记され、その后ろに解题が附されている。

Template:ウィキポータルリンク Template:目录学

目录学(もくろくがく)は、前近代中国図书目录を扱う学问。中国では伝统的に図书目录の制作が盛んだったため生まれた。校勘学や版本学と深い関系を有し、西洋や日本でいう书志学図书馆学図书馆情报学に近い。

名称

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目录”という语は、もとは书目の目次を示す言叶であり[a]六朝时代以降に现代でいう“図书目录”を指すようになった[1]:1-2。中国では、この図书目录に関する学问を“目录学”と呼ぶ。目录自体は世界に普遍的に存在するものであるが、特に中国文化においては学问として独自の発展を遂げた[2]:7-8。よって、“目录学”の英訳は一般に“bibliography”が当てられるものの[1]:1-2、目录学と厳密な意味で概念を同じくする訳语は存在しない[3]:3-4

目录学は“校雠学”と呼ばれることもある。“校雠”は、书物と书物を突き合わせて文字の比较校订をすることを指す言叶で、现代でいう“校正”のこと[2]:19[b]。両者が指し示す対象は同じだが、“目录学”という呼称は书物の分类とその目录法の侧面を重视し、“校雠学”という呼称は书物整理の侧面を重视する点に相违がある[2]:19

目录

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中国最初に作られた図书目录は、前汉刘向‘别录’と刘歆七略’であり、これは彼らが当时の皇室の蔵书を体系的に整理し、その校书事业の成果をまとめたものであった[4]:8-9。これ以来、中国の各王朝において皇室の蔵书目录を作成する制度が引き継がれたほか、宋代に入ると民间でも小规模な蔵书目录が作られるようになった[4]:8-9

目录に记录されているそれぞれの书物は、明确な分类体系の下に区分されて整理されている[5]:318。その分类方法は、书物の内容によって大きく“四部”(古くは六部)に分け、その内部で“类”に分け、场合によってはさらに细かく分类し、最后にその中で书物を撰者の年代顺に配列する、というものであった[5]:319。その分类は伝统的な学问分野に従って区分されているため、目录の中における书物の位置は、“その书物の内容が伝统的学问体系においてどこに当たるか”を反映するものである[5]:318。こうして完成した目录は、过去の学术全体を体系的・系统的に反映するものとなり[5]:319、目录の読解を通してその时代の精神や学术を読み取ることも可能である[4]:9-10

目录の形式

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伝统的な中国の図书目录は、ただ书物の一覧を个条书きにして挙げるだけではなく、分类全体や各书物に対する说明を伴うものも数多く存在する。中华民国の目录学者である余嘉锡は、目录の形式を以下の三种类に分类した。

  1. 小序(各分类の说明)と、解题(各书物の说明)が両方あるもの。
    郡斎読书志’、‘直斎书录解题’、‘文献通考’経籍考、‘四库提要’など[6]:14。その重点はそれぞれの书物の要旨を论じ、误谬を弁じることにある[6]:33
  2. 小序だけがあって、解题はないもの。
    汉书芸文志、‘隋书経籍志。但し、‘汉书’芸文志の基づく‘七略’には小序・解题が存在した[6]:22。その重点は学术の起源と帰趋を见极め、その间の展开を明らかにすることにある[6]:33
  3. 小序と解题がともになく、ただ书名だけが挙がっているもの。
    旧唐书’経籍志以下の正史の目录、‘通志’芸文略、张之洞Template:仮リンク’など[6]:26。その重点は分类基准を明确にし、各ジャンルに合理性を持たせながら、その本末や学术の変迁に见通しを与えることにある[6]:33

“小序”は、それぞれの部类に対して、学派を分析し、著述の主旨を记述したもので、これによってその学问の得失や历史的経纬を明らかにする[6]:87-91。“解题”は、书物の要旨と著者を考察するもので、著者の事迹・时代・学术を记述し、その书物を読んで作者の意図を考察するための重大な情报を提供するものである[6]:87-122

伝统的な汉籍目录の分类法

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古代中国の目录における分类体系は四部分类に基づくものであり、现代でも、大量の汉籍を所有する図书馆では同じ分类法が継承して用いられている[4]:42-43。その代表例として、以下に东京大学东洋文化研究所の分类法のうち“部”とその下位分类である“类”を示す。実际には更にその下位分类として“属”と“目”が存在する[7]

  • 集部
    • 楚辞
    • 别集
    • 総集
    • 诗文评
    • 词曲
    • 小说
  • 丛书
    • 雑丛
    • 景仿
    • 辑佚
    • 郡邑
    • 一姓所著书

四部分类では、儒教経典経书)に関连する书物が収められる“経部”が最初に置かれ、一段高い位置を占めることが示されている。これは、分类の顺序に価値判断が伴わない日本十进分类法などとは异なる点である[8]。なお、日本十进分类法においては、四部分类での経部の书物は基本的に“东洋思想(120)”の要目“経书(123)”の中に収められる[8]

目录の具体例

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古代中国の目录の具体例として、‘隋书経籍志の“経部・易类”の内容を说明する。この目录は、上の三类のうち“(2)小序だけがあって、解题はないもの”の体裁を取っており、まず冒头で隋代に至るまでの书籍の历史を概観したのち[c]、経部の易类、つまり経书である‘’に関连する书籍が、以下のように巻数・著者名とともに个条书きで并べられている。

归藏 十三卷 晋太尉参军薛贞注。
周易 二卷 魏文侯师卜子夏传、残缺。梁六卷。
周易 十卷 汉魏郡太守京房章句。
周易 八卷 汉曲台长孟喜章句、残缺。梁十卷。又有汉单父长费直注周易四卷、亡。
周易 九卷 后汉大司农郑玄注。梁又有汉南郡太守马融注周易一卷、亡。
周易 五卷 汉荆州牧刘表章句。梁有汉荆州五业从事宋忠注周易十卷、亡。(以下略)
— ‘隋书経籍志[9]:35-38

‘隋书’経籍志の経部易类には、上に示したような形式で合计69部、551卷(当时既に失われていた本を合わせると94部、829卷)の书籍が记录されており[9]:53、その末尾には以下のように“易类”という分类全体に対する说明(小序)が加えられている。

……の三代には、実に三种の易があった。夏の易は‘连山’、殷の易は‘归藏’といい、周の文王が卦辞を作って、それが‘周易’と呼ばれる。……焚书に际しては、‘周易’のみは占いの书物ということで焼却を免れ、そのうちの“说卦”三篇だけが失われたが、それは后になって河内の一妇人によって発见された。……后汉陈元郑众は、みなTemplate:仮リンクの易学を伝え、马融が更にその注釈を作り、郑玄に伝授した。郑玄は‘易注’を、荀爽は‘易伝’を著した。王粛王弼も费直の易に注を施した。……には、郑玄と王弼の二家の注釈が国学に立てられた。北斉では郑玄の解釈だけが伝えられた。に入ると、王弼の注がもてはやされ、郑玄の学问はしだいに下火になって、今ではほとんど绝えてしまった。……
— ‘隋书経籍志[9]:53-54

上の二つの具体例から示されるように、‘隋书’経籍志は“书籍の目录”であると同时に、汉代以来の“学术の历史”を概括するものでもある[9]:36。この二つの性质を持つのは‘隋书’経籍志に限ることではなく、中国の図书目录は“书物を登录する帐簿”としての侧面と、“学术の历史を考察する学术史”としての侧面を并せ持ったものであった[4]:11

目录学

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以上のような“目录”に関する学问を“目录学”と総称する。

目录学は、狭义では“书籍を分类整理し、解题书录を作成するための学问”である[3]:4。ただそのためには、书物の内容の把握と、その分类の意味の把握をしなければならない[3]:4。目录が作られる手顺としては、まずある一つの书に対して、写本版本を含めた多くのテキストを収集し、校勘を行い定本を作り(校雠)、内容を把握し、これを解题に记す。そしてその书籍が学问体系の中のどこに位置づけられるか判定し、その分类の中に记录する、という流れである[5]:319-320。こうした目录学の実务面は、刘向・刘歆以来行われ続けていた。

また、こうして完成した目录を学术上の考证に役立てること自体も、古くから行われていた。余嘉锡は、古くから存在する目录学の利用方法として、以下の例を挙げている。

  1. ある书物が目录に记载されているかどうかによって、その书物の真伪を判定する(‘汉书’东方朔伝、‘后汉书’张衡伝の例)[6]:34-38
  2. 目录を用いて古书の篇目やその并合・分离を考证する(郑玄‘三礼目录’の例)[6]:34-38
  3. 目录のどの分类に记载されているかによって、その书物の性质を确定する(‘南史’陆澄伝の例)[6]:34-38
  4. 目录にしたがって、失われた本や分类を捜索する(‘隋书’牛弘伝の例)[6]:34-38
  5. 目录に基づいて佚书(失われた本)を考证する(‘隋书’牛弘伝の例)[6]:34-38
  6. 目录に记载された姓名や巻数によって、古书の真伪を判定する(‘唐会要’巻77、‘子夏易伝’の真伪を议论する条)[6]:34-38

これらは书志学的な目录学の活用方法であるが、以上の侧面だけではなく、目录を読み解きその法则を明らかにする理论的な面も徐々に强调されるようになった。目录を対象にした理论的研究が始まるのは南宋郑樵通志’以降であり、章学诚校雠通义’がこれを大きく発展させ、中国学术史を论じる学としての“目录学”の意义が明らかになった[4]:14-15。また、民国时代に入ると、彼らの学问を引き継いで余嘉锡姚名达といった卓见した目录学者が现れ、目录学はさらに発展した[2]:223-224

目录学理论の形成

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郑樵

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Template:国立国会図书馆デジタルコレクション
通志’芸文略の“史类”(历史书を収める分类)のうち、‘史记’‘汉书’関连の书籍を列挙する部分。

南宋郑樵は、‘通志’に“芸文略”という书目を作った。これは宫廷図书馆や彼の个人蔵书を目录にしたものではなく、过去の目录や彼の知识に基づいて、中国の学术史を见通すために必要であると彼が考えた书籍を配列した目录である[2]:214。全体は十二类に分けられているが、これは当时主流であった四部分类を基础としつつも、それでは不十分と考えて细かく分类したものである[d]。十二类の下位には“家”、その下位に“种”が设けられ、さらに细かく周到な分类が可能になっている[2]:214-216

郑樵は、“类例が分けてあれば、学术はおのずと明らかになる”と主张し、学术の枠组みを示して目录を整理すれば、そこに収められている书物の内容も自然に明らかになると考えた[2]:214-216。よって郑樵は、分类さえ正确になされていれば书物の中身は明らかなのだから、各书物に対する解题は不要であると考え、これを削除した[10]。こうした彼の主张は‘通志’の“校雠略”に整理されており、その理论を実践して作った目录が“芸文略”である[10]

章学诚

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郑樵に影响を受け、目录学を学问として発展させたのが章学诚校雠通义’である。章学诚が刘向・刘歆の事业の意义を要约して述べた以下の言叶は、目录学の意义そのものを言い表した言叶としてよく引用される。

学术を弁章し、源流を考镜す。(学术を弁别して明らかにし、源と流れを考察する。)[6]:12
— 章学诚, ‘校雠通义’序

ここでいう“学术”とは、学问と技术を指す。章学诚は、目录学は学术的伝承の历史を踏まえ、その源流を考察しながら、书物を整理・分类するためのものであると考えていた[2]:32-34

章学诚は‘汉书芸文志の研究を通して、“互著”と“别裁”の法を唱えた[2]:222-223。“互著”とは、ある一つの书籍が复数の分类にまたがる内容を持つ场合、その各部に重复して书名を出すべきであるとすること[2]:222-223[10]。章学诚は、同じ本を一个所にしか载せられないという考え方は、目录を単に书籍の帐簿であるとするから出てくるのだと述べている[10]。“别裁”とは、既に存在するある本の中から一部分を取り出し、别の単行本として目录に掲げることであり、これも著述の源流を弁じるために必要な作业であると章学诚は考えた[2]:223-224

余嘉锡

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中华民国の学者である余嘉锡は、朱彝尊Template:仮リンク’や‘四库提要’、‘校雠通义’、姚振宗‘七略别录佚文’、孙徳谦‘刘向校雠学纂微’といった清朝以来の目录学の蓄积を利用しながら、‘目录学発微’を著した[11]:394。‘目录学発微’は以下のような构成になっている。

  1. 目录学の意义とその效用
    历史上の目录が、部门ごとの小序(分类の历史を记すもの)と书物ごとの解题を备えているかどうかに着目しながら、目录の意义と效用と说き、合わせて“目”と“录”の字义を追究する[11]:392-393
  2. 目录学の体制
    目录中における篇目(书物の篇名を记すこと)、叙录(书物ごとの解题)、小序、版本明记の重要性について、膨大な例を挙げながら先行の理论とともに研究している。余嘉锡は刘向・刘歆が‘别录’‘七略’において示した体例が非常に优れていると考えており、これを発展させることで理想の目录を考察した[11]:392-393
  3. 目录学の历史
    历代の目录について绵密に史料を挙げながら考证しており、现代でも资料集として利用できるものである[11]:392-393
  4. 目录学の分类体系の変迁
    以上の议论を整理し、目录学史の流れを大きくまとめている。目录の起源、‘七略’の完成、四部分类の登场、南朝の分类などが分类の変迁という観点から论じられている[11]:392-393

この本は、従来系统的な记述や入门书に乏しかった目录学についての総论であり、教育的效果を期待して书かれたものである。実际、近代の大学の教科书として用いられた[11]:391-394

目录学の重要性

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中国古典の研究において目录学が重要であるということは、清代乾隆年间(1736年 - 1795年)の顷に学者の间で共有され始めた[4]:15。この顷の考证学者の王鸣盛は、目录学の重要性を强调し、以下のように述べている[4]:15

目录の学は、学中第一の紧要の事なり。必ず此れ従(よ)り途を问い、方(はじ)めて能く其の门を得て入る。(目录の学というものは、あらゆる学问の中で第一に重要なことである。目录学を手挂かりに道を寻ねてこそ、はじめて学问の道を见つけて足を踏み入れることができる。)
— 王鸣盛, ‘十七史商榷’巻一[4]:15

余嘉锡は、目录学は専门家の考证の际にのみ役立つものではなく、一般の学习者によっての手引きの役目を果たすものであることを述べている。目录によって、ある分野を学习するに当たってどの本を読めばよいのかということを示し、效率的に学习することができる。余嘉锡はこうした役割を果たしうる目录として、‘四库提要’と张之洞‘书目答问’を挙げる[6]:38-39

目录作成の历史

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古代中国においては、春秋戦国时代、すでに竹木を用いて作られた书物(木简竹简)や布で作られた书物(帛书)が多く流通し、宫廷の図书馆には数多くの図书が所蔵されていたと考えられる[3]:12始皇帝の际、焚书が行われて民间の図书の多くが失われた[2]:76-77。しかし、汉代に入ると、武帝が宫廷の蔵书が不全であったことに危机感を覚えて书籍収集の方针を立てたほか、河平3年(纪元前26年)には成帝によって本の収集が命じられ、大きな效果を上げた[2]:98-99

なお、刘向刘歆以前の段阶で当时の学术の全体的な状况を描いた著作としては、‘荀子’非十二子篇、‘韩非子’顕学篇、‘荘子’天下篇、‘吕氏春秋’不二篇、‘史记’太史公自序などがあるが、これらは当时存在した学派について记した著作であり、书物・文献を中心に构成された学术史ではない[12]

汉代

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‘别录’と‘七略’

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成帝の书籍収集と同じ政策の一つとして、刘向に命じて书物の校订整理が行われた[2]:98-99。この作业は刘向が死去しても完成せず、哀帝の命を受けた子の刘歆に引き継がれ、纪元前后の顷に完成したと考えられる[2]:148。刘氏父子以外にも、任宏尹咸李柱国ら多くの学者が协力した[2]:148

刘向がこの时の校书の成果を著したものが‘别录’である。书物の篇目を序列し、主旨を要约し、文章にまとめたものを“序录”と呼ぶが、‘别录’はこの序录だけを取り出し、编集しなおしたものである[2]:128。‘别录’の全体は现在は散佚したが、刘向の署名を有する序录として‘荀子’‘戦国策’‘晏子’がある[e]。例えば‘荀子’の序录では、まず本の题名・巻数・篇数を记し、次に一书全体の篇名を列挙し、最后に文章で整理の状况・方法、荀子の伝记、本が书かれた経纬、そして书物の评価が述べられている[2]:154-157

そして刘向の作业を引き継ぎ、刘歆がその书目を示したものが‘七略’である[3]:12-13。‘七略’は、図书を大きく六种の“略”に分类し、これに解说文だけをまとめたセクションである“辑略”が加えられて、“七略(七つの略)”となっている[2]:170。‘七略’も现在は散佚したが、‘汉书’芸文志は‘七略’を抜粋したものであることが知られている[2]:143

刘向・刘歆の校书と目录编纂の水准は非常に高く、この事业は目录学の出発点であると同时に到达点であるとも考えられてきた。多くの目录学の概说书や研究书においては、彼らの事业を高く评価し、以后の目录家に対する评価は総じて低い[13]。刘向・刘歆の事业の特徴は、书籍を精密に校正した上で、书籍の配列法・分类法をその由来(特に古代の事実、古代国家の官职との関系)から考察したことにある[14]

彼らの目录の体裁は、‘诗経’や‘书経’の序に起源をもつ。これらはもともと篇目を列挙するためのものであった。また、刘向以前で同じく自序や小序を含む例として司马迁‘史记’や扬雄法言’がある[6]:46-47

‘汉书’芸文志

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汉书’芸文志の冒头部分。目录全体に対する総序が书かれている。

后汉班固が‘汉书’を编纂する际、‘七略’を抜粋して図书目录を収录した[2]:32-34。このとき、序录の部分は省略され、书名の一覧と小序が残った[6]:51-52。これが‘汉书’の“芸文志”であり、‘别录’と‘七略’は现存しないため、现存最古の目录はこれである。‘汉书’芸文志は、‘七略’に基づき、六部分类を采用して书物を分类した[3]:15-18

六芸略
儒教の経典(経书)を集めた分类。六部分类の中では、六芸略が最も上位であり、他の五部を统括する构造にある[2]:193-4。この内部で春秋论语孝経・小学の九家に分かれる。この下位分类は、四部分类に変更された后でも大きな変更を被らず、同じ形を保ち続けた[2]:175。なお、のちに“史部”に分类されることになる‘戦国策’‘史记’といった书物は、六芸略の“春秋家”に分类されている[9]:10
诸子略
诸子百家の言说が书籍化した本を集めた分类。阴阳縦横小说の十家に分かれる。小序において、これら十家を全て古代の官职との関系で说明する点に特色がある[2]:175-179
诗赋略
诗赋を収录した书物の分类。屈原赋・陆贾赋・孙卿赋・雑赋(テーマ别の)・歌诗の五家に分かれる。[2]:181。诗赋は本来的には“六芸略”の“诗”家に属するものであるが、本の数量が多かったことから独立したと阮孝绪‘七录’は述べており、章学诚・余嘉锡もこれに従う[15]
兵书略
军事関系の书物の分类。兵権谋・兵形势・阴阳・兵技巧の四家に分かれる。兵书の整理は汉初以来何度も行われており、高祖期。武帝期・成帝期・哀帝期の段阶を踏んでいる[2]:183-185
数术略
“术数略”ともいう。占いや自然科学の书物。天文・暦谱・五行・蓍亀・雑占・形法の六家に分かれる。术数学は汉代の学术上大きな地位を占めており、刘歆自身も暦を作成するなど术数に秀でていた[2]:186-188
方技略
医学书の分类。医経・経方・房中・神仙の四家に分かれる。小序においては、単に病気を治疗するだけではなく、これらの书によって政治を知ることが目标に设定されている[2]:189

以上、合计13269巻の书物が记录される[9]:7。また、‘汉书’芸文志には三种类の“序”が附されている。一つ目は“大序”で、全体の冒头に置かれ、孔子の没后から刘向・刘歆の図书整理事业までを概観する。二つ目は“略”ごとの序で、六つの略に対する解说文で、それぞれの“略”の末尾に置かれる。三つめは“略”の下位分类である“家”に対する说明である[2]:170-171

魏晋南北朝 - 唐代

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中国の図书目录の分类の変迁。六部分类から四部分类へと変化。

‘汉书’芸文志は六部分类法を取っていたが、后汉の発明、また时代とともに増加する历史书の増加の影响を受け、他の分类方法が试みられるようになった。まず、西晋荀勗が撰した‘中経新簿’において、四部の分类方法が试みられた。これは、甲部(経书・小学、もとの六芸略)・乙部(诸子百家、术数、兵书など、もとの诸子略・兵书略・术数略・方技略)・丙部(历史书。史记、旧事など)・丁部(诗谱など、もとの诗赋略)の四部に分けるものである[3]:26-28

东晋に入り、李充が乙部と丙部を入れ替え、乙部を历史书、丙部を诸子百家の书とし、これによって“経・史・子・集”をもって称される“四部分类”が完成し、この形式が现在まで続いている[3]:29-30。“史部”が独立したこの形式は、この时期に历史书が飞跃的に増加したことを反映している[9]:23[f]。但し、南朝宋末に王倹王僧绰の子)が‘七略’に仿った‘七志’を作るなど、六部分类を取るものも消えたわけではなかった[3]:29-30

また、この顷から仏教道教関系の书物も合わせて分类されるようになり、Template:仮リンクの‘七录’は、内篇の五部(経典・纪伝・子兵・文集・术数)と外篇の二部(仏法・仙道)からなる。これは全体の分类数としては“七”を意识しているが、内実は“术数”が独立しただけで四部分类の一种である。本书は南朝梁の官撰目录を継承しており、‘隋书’経籍志の分类に大きな影响を与えた[9]:27-30

特に、南朝梁の武帝元帝の治下では豊富な蔵书が蓄えられ、‘七录’を始めとする数种类の目录が制作された。しかし、西魏の军队が都に侵入すると、元帝は宫廷の蔵书を焼き払い、相当数が失われてしまった[6]:212-214。その后、によって中国が再统一される前后、牛弘の案によって悬赏金付きで民间から书物を集め、宫廷図书馆の蔵书が强化された[9]:27-30。隋代には‘开皇四年四部书目’や、Template:仮リンクの‘七林’、Template:仮リンクの‘开皇二十年书目’などが制作された[6]:224-232

唐代に入る际、再び多くの书物が失われたが、令狐徳棻の提言のほか、魏徴虞世南颜师古などの动きもあり、蔵书は再び徐々に蓄积された[9]:30-32

‘隋书’経籍志

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日本国见在书目录’の“孝経家”“论语家”の页。‘日本国见在书目录’の分类は‘隋书経籍志を踏袭している。

隋书経籍志はもともと‘五代史志’の一篇として编纂されたもので、令狐徳棻によって五代の正史の编纂が提言され、贞観3年(629年)に魏徴らによって‘五代史伝’が完成した[9]:32-33。しかし、ここには“志”が备わっていなかったため、于志宁李淳风らによって追加の编纂が进められ、顕庆元年(656年)に完成した[9]:32-33

‘隋书’経籍志は四部分类を取り、その构成は以下である[9]:33-35

もとの六芸略。経书と経书の注釈书などを収める部。春秋孝経论语谶纬小学の十类。谶纬の书は‘七录’では“术技录”に入れられていた[9]:33-35
四部分类によって新设された、历史书を収める部。正史・古史・雑史・霸史・起居注・旧事・职官・仪注・刑法・雑伝・地理・谱系・簿录の十三类。后汉以来の史学の隆盛に伴って独立し、史书・史学が分野として成熟したことを示す[4]:39
もとの诸子略・兵书略・术数略・方技略。诸子百家の书と技术书。縦横小说・天文・暦数・五行・医方の十四类[9]:33-35
もとの诗赋略。文学作品を収める。楚辞・别集・総集の三类[9]:33-35
道経・仏経。各类の巻数が记されているだけで、书名は记录されていない[6]:322-323。但し、ここに记录される仏典は翻訳されたものに限り、中国人撰述の仏教関连书は四部の中(史部雑伝・子部雑家など)に収录されている[16]

以上、合计89666巻の书物が记录されている[9]:32。‘隋书’経籍志は、完全な形で现存する第二の目录であると同时に[9]:1、汉代以来の学术の流れを総括したものであり、その资料的価値は高い[9]:36。その分类法は、阮孝绪七录’を継承したところが多い[6]:322-323

‘隋书’経籍志は、‘汉书’芸文志に次ぐ分类の基准を定め、以后の‘旧唐书’‘新唐书’などの正史の目录はこれに依拠しながら分类法を定めた[9]:43。また、日本の藤原佐世の‘日本国见在书目录’も、‘隋书’経籍志の分类法を取り込んだものである[9]:44。以后、‘四库全书総目提要’に至るまで、‘隋书’経籍志の定めた基准が细かな改良を加えられながらも用いられ続けた[9]:44

汉から隋唐にかけての书籍の流伝を知る上では、経书に関しては陆徳明の‘経典釈文’序录、历史书に関しては刘知几の‘史通’六家篇も有力な资料となる[10]

‘旧唐书’経籍志と‘新唐书’芸文志

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旧唐书’は后晋の顷に作られ、経籍志はその一部である[17]。この目录はもともと开元年间(713年 - 741年)に毋煚が作った‘古今目录’を抜粋したものであり、唐代初期の书物しか载せていない[17]。全体の分类としては、概ね‘隋书’経籍志を踏袭している[17]。また、各部门の総论、各子目の総说はなく、全体の総论があるだけである[10]内藤湖南は、これを目录の“退歩”であると表现している[10]

新唐书’は北宋の顷に作られ、芸文志はその一部で、同じく四部分类である[18]。各分类の中に“著录”と“不著录”の二种があり、前者は‘古今目录’(また‘旧唐书’経籍志)にやや手を加えたもの、后者は‘古今目录’后にできた新たな唐代の书物を追加したものである[18]。総序は更に粗略になり、‘旧唐书’経籍志までは、ある场所に现存していた书籍に対して作られた目录であるが、‘新唐书’芸文志に至ると、编纂者が実见した书籍に対する目录なのかどうか判然としないものになった[10]

‘旧唐书’経籍志と‘新唐书’芸文志においては、仏典は子部の道家类の中に収められているが、これは仏教より道教を优先した唐代の政治的背景を反映したものである[19]。道家类の中に仏典を収めるのは评判が悪く、次の‘崇文総目’では“釈家”(仏教)として独立した分类が立てられた[20]。これ以后、道教経典・仏典は子部の中に分类される形が采られるようになる[21]

宋代

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北宋の宫廷図书馆の书目としては、‘史馆新定书目’‘馆阁図录目录’などのほか、‘崇文総目’が作られた[6]:347。北宋の文人である欧阳修は、‘新唐书’の编纂者であると同时に、‘崇文総目’の序录の执笔者でもある。この序录には、学问の変迁が整った体裁で记されており、后世の评価は高い[10]。また、もとは一部一部の本に解题が附されていたらしい[10]南宋の宫廷蔵书目录には‘中兴馆阁书目’がある。

また、宋代に入って木版印刷が盛んになるにつれて、徐々に书物の量が増え、个人の蔵书家が民间の図书目录を制作するようになった[3]:52。个人の蔵书家による目录として著名なものに、南宋の尤袤Template:仮リンク’、Template:仮リンク郡斎読书志’、陈振孙直斎书录解题’の三书が挙げられる。

‘遂初堂书目’は书名と巻数だけを挙げた书目である[10]。书物解题を备える最初の民间図书目录が‘郡斎読书志’で、晁公武は手に入れた本を校勘しながら読み通し、それらの书物の要纲を书いた。これは、ある个人が実际に入手した本をもとに自ら书き记した记录であり、记事の信赖性はかなり高い[3]:57-58。また、‘直斎书录解题’にはそれぞれの书物の入手経路などが合わせて书かれている点に特色があり、书物の解说を“解题”と称するのはこの本に始まるとされる[3]:57-58

南宋には、先述した郑樵のほか、高似孙王応麟马端临らも新たな目录学の知见を示した[10]

元代・明代

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元代になると‘宋史’芸文志が作られたが、乱雑であると评価されている。その著录方法は‘新唐书’芸文志と同じであり、宋代に作られた四つの目录を一つに合わせた上で、“不著录”として宋代末顷の本を补ったものである[10]。ここに至って、正史の“芸文志”は行き诘まりを见せ、これより后に正史を编纂する时には、芸文志は作らないか、作るからには别の方法を取る、というように変化した[10]。なお、元代の宫廷図书目录は现代には伝わらないが、‘秘书监志’によってその蔵书の大略は知ることができる[6]:256-257

明代の蔵书目录が杨士奇‘文渊阁书目’である。前代の蔵书目录より全体の数量は遥かに多いが、书名と册数だけを记录し、巻数は记录せず、撰人の姓名さえ记录しない场合が多い[1]:21銭大昕はこれを“官中书库の帐簿”と称し、余嘉锡は杜撰な编集であるとして批判している[6]:258-264。これ以降、明代の官蔵书目は十数种类のものが作られた[1]:21

明代を通して目录学は下火であったが、明末になると、焦竑によって‘国史経籍志’が作られた。これは四部分类を用いながらも、细かな分类については‘通志’の形式を取り入れている[10]。一部独自の分类法を试みたほか、附录として、‘汉书’芸文志・‘隋书’経籍志・‘宋史’芸文志・‘崇文总目’・‘通志’・‘郡斎読书志’などの古来の目录に対して、分类の误りを正すなどの新たな议论を展开している。各书に対する解题はないが、分类に対する総序はあり、学问の源流を论じるところもある[10]。その一部は‘四库提要’の序论のもととなった[10]

书籍の流通量の増加に伴って、明末清初の间には蔵书家がますます増え、その目录も数多く作られた。‘千顷堂书目’は后に‘明史’芸文志の基础となった[10]。他に‘澹生堂书目’‘绛云楼书目’‘汲古阁蔵书目’なども著名である。銭曾の‘読书敏求记’は珍しい本を入手した际にそれを记录した目录で、最初の珍本収蔵の解题である[10]

清代

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四库提要

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‘四库全书総目提要(四库提要)’

解题を含めた目录の决定版として、清代乾隆帝の命令で作られた‘四库全书総目提要(四库提要)’がある。これは、‘四库全书’の编纂が进められる中で、“著录书”(定本が作成され、解题が附された书籍)と“存目书”(解题だけが作られた书籍)の解题(提要)だけを集めて作られた本である[22]。‘四库提要’は、一万种を超える书籍を掲载しながら、分类に対する说明と各书籍に対する说明を両方备えている(余嘉锡の分类でいう第一类)[23]。その解题では、书籍の内容のほか、著者や时代の来历、刊本写本といったテキストの问题が论じられている[24]

‘四库提要’に対する补订として、余嘉锡の‘四库提要弁证’、胡玉缙の‘四库提要弁证补正’などがある[5]:320-322

现代の评価

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シカゴ大学で汉籍整理を行った銭存训は、伝统的な四部分类を近代に运用する际には、以下の欠点があると述べた[4]:42-43

  • 伝统的な目录学は、枠组みの中心に儒教を据えてきたこと。
  • 枠组みが简単すぎて、详细を组み込めない构造になっていること。
  • 枠组みに柔软さがないこと。

“枠组みに柔软さがないこと”については、余嘉锡も古くは存在せず后に生じた分类の书物(琴や囲碁、书画の书や、动植物の书など)は分类の帰属先がなく、雑多に子部に収められたことを指摘している[6]:325。また、类书や丛书の分类もしばしば问题になる[6]:325。こういった问题点は确かに存在しているが、中国の历史上长く用いられてきた四部分类は强い根を张っており、近代になっても分类法を简単に変更することはできなかった[4]:42-43

また、近代中国の図书馆の整备に当たったTemplate:仮リンクは、“図书の分类は学术の分类に基づく”という目录学の理念に対し、必ずしも両者は一致せず、学术史は学术史として别に记述するべきことを述べている[25]

自来目录学者、必ず“弁章学术考镜源流”を以て相い标榜し、以为く、是の如きに非ざれば以て其の道を尊ぶに足らざるなりと。知らず、学术源流の考镜は、当に别に学术史著述史を撰して以て之を総论すべきを。今之あるを知らず、乃ち図书目录中に于いて之を述べんと欲するは、是れ能うべからざるなり。
— 杜定友, ‘校雠新义’巻八[25]

中国文学研究者の吉川幸次郎は、目录学は必要な技术ではあるが、书目を见ただけで読书した気になることは问题であると述べている[24]。また、同じく中国文学研究者の金文京は、西洋の図书分类はどちらかといえば検索の便宜を主目的として発展し、现代の図书馆情报学がその延长线上にあるのに対して、中国の目录学は当初から文化史・学术史的な色彩が浓いことを指摘している[26]。そして、ある书物を研究するに当たっては、その书物の内容・著者・时代背景などを调べると同时に、その书物がその时代の文化体系(またその后の时代の文化体系)の中でどのような位置にあるかを理解する必要があり、目录学はその助けとなるものであるとする[26]

现代の汉籍目录

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汉籍カード目录の例[27]

ここでは、京都大学人文科学研究所図书馆の场合を例として、现在一般的に用いられている汉籍目录の记述内容を说明する。京都大学人文科学研究所図书馆では、汉籍を受け入れる际、まずその一册の本に対するカード目录(各书籍一つ一つに対する目录)を作成する[28]

カード目录には、书名・撰者・巻数・钞刻(出版事项)といった情报が记载される[29]。このうち“钞刻(出版事项)”には、いつ(出版年)、どこの谁が(出版者)、どこで(出版地)、どのような方法で(木版活字など)出版したのかが记される[30]。こうした记述によって目の前の“书”がどのような“本”なのかを明らかにするのが、カード目录の作成目的である[29][g]

こうして一つの书籍に対するカード目录が完成すると、この书が全体の分类の中でどこに位置づけられるか、ということを定める[1]:29。京都大学人文科学研究所図书馆では、伝统的な四部分类に、丛书部を加えた五部の分类によって各书物を分类している[28]

脚注

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注釈

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  1. ^ “目录”という语の初出は、前汉刘向‘七略’の“尚书有青丝偏目录”である[1]:1-2余 (2013,第40-43页)は、“录”の字にはもともと“篇目”と“要旨”の二つの意味があり、篇目を列挙することに重きを置く场合に“目录”、要旨をまとめることに重きを置く场合に“叙录”の名称が生じたとする。
  2. ^ “校雠”という语の初出も刘向に溯り、彼の书いた‘管子’の序录に“校雠”の语が、また‘刘向别伝’に“雠校”という语が见える(‘太平御覧’所引)[2]:19-20
  3. ^ この冒头部分は‘隋书’経籍志の“総序”に当たる部分であり、兴膳 & 川合 (1995,第3-32页)に翻訳がある。
  4. ^ 経类・礼类・楽类・小学类・史类・诸子类・星数类・五行类・芸术类・医方类・类书类・文类の十二类[2]:214-216
  5. ^ ほかに‘说苑’‘管子’‘列子’‘邓析子’にも刘向の署名が残されているが、后人の改窜を被ったものであると余嘉锡は述べている。一方内藤湖南は、‘管子’は刘向のものであると认める[2]:153-154
  6. ^ 六部分类においては、“六芸略”の“春秋家”の中に‘国语’や‘史记’‘戦国策’などの历史书が付属する形式を取っていた[2]:138-139
  7. ^ “书”はbookの意味、“”はversion、edition、textの意味[1]:26。“书”の情报が书名・撰者・巻数で、“本”の情报が出版事项(刊记・伝来・册数)である[1]:26-27。但し、巻数・册数の相违は、书の相违による场合と本の相违による场合とがある[1]:26-27

出典

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  1. ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 引用错误:没有为名为勝村的参考文献提供内容
  2. ^ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 2.23 2.24 2.25 2.26 2.27 2.28 2.29 2.30 2.31 2.32 引用错误:没有为名为古勝2019的参考文献提供内容
  3. ^ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 引用错误:没有为名为清水1991的参考文献提供内容
  4. ^ 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 引用错误:没有为名为古勝2017的参考文献提供内容
  5. ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 引用错误:没有为名为井上2006a的参考文献提供内容
  6. ^ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 6.16 6.17 6.18 6.19 6.20 6.21 6.22 6.23 6.24 6.25 6.26 引用错误:没有为名为余2013的参考文献提供内容
  7. ^ 四部分類一覧表. 东京大学东洋文化研究所. [2021-05-02]. 
  8. ^ 8.0 8.1 野间 2014,第18-21页.
  9. ^ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 9.11 9.12 9.13 9.14 9.15 9.16 9.17 9.18 9.19 9.20 9.21 引用错误:没有为名为興膳川合1995的参考文献提供内容
  10. ^ 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 10.16 10.17 10.18 内藤 1926.
  11. ^ 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 11.5 引用错误:没有为名为古勝2013的参考文献提供内容
  12. ^ 野间 2014,第21-22页.
  13. ^ 古胜 2010,第214页.
  14. ^ 古胜 2010,第217-219页.
  15. ^ 宇佐美 2002,第73页.
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  17. ^ 17.0 17.1 17.2 古胜 & 嘉瀬 2008,第313页.
  18. ^ 18.0 18.1 古胜 & 嘉瀬 2008,第324页.
  19. ^ 内藤 1976,第802页.
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参考文献

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単著

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関连文献

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関连项目

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外部リンク

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