朝赤龍太郎
外觀
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四股名 | 朝赤龍太郎 | |||
本名 | Бадарчийн Дашням | |||
暱稱 | ダシ・赤ドルジ | |||
出生 | 1981年8月7日 | |||
出生地 | 蒙古國烏蘭巴托 | |||
身高 | 184cm(現役時) | |||
體重 | 150kg(現役時) | |||
BMI | 44.31(現役時) | |||
所屬部屋 | 若松部屋→高砂部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り、投げ | |||
成績 | ||||
目前排名 | 引退 | |||
最高等級 | 西關脅 | |||
終生戰績 | 687勝679敗36休(103場所) | |||
幕內戰績 | 410勝442敗33休(59場所) | |||
冠軍 | 十兩優勝1回 序二段優勝1回 | |||
獎勵 | 殊勛賞1回 敢斗賞1回 技能賞2回 | |||
資料 | ||||
首次登場 | 2000年1月場所 | |||
晉升幕內 | 2003年3月場所 | |||
引退 | 2017年3月場所 | |||
引退後擔任 | 年寄:17代錦島→8代高砂 | |||
備註 | ||||
*資料於2020年11月26日更新。 |
朝赤龍太郎(日語:朝赤龍 太郎/あさせきりゅう たろう Asasekiryū Tarō,1981年8月7日—),本名巴達爾奇·達希尼亞木(蒙古語:Бадарчийн Дашням),是出生於蒙古的日本大相撲力士,生涯最高位階為關脅。現為高砂年寄、高砂部屋師匠[1]。
生平
[編輯]朝赤龍出生於蒙古國烏蘭巴托,父親是一位蒙古式摔跤選手。1997年,他與好友、後來成為橫綱的朝青龍明德一同前往日本明德義塾高等學校學習。2000年加入朝青龍所在的高砂部屋,開始其大相撲生涯。他在同年5月場所便以全勝戰涯取得序二段優勝。2002年晉升十兩,2003年1月場所獲得優勝後晉升幕內。次年,他在2004年3月場所以13勝2負的優異成績獲得亞軍,並得到殊勛賞與技能賞。2006年5月場所中他又獲敢斗賞。2007年,他在5月場所以12勝3負奪得亞軍,並再次獲得技能賞。同年7月場所勝越後,他晉升關脅,這也是他職業生涯的最高等級。然而之後他表現一直不穩定,2017年1月場所降級至幕下,令高砂部屋自1878年創立138年以來首次出現關取力士的空缺。[2]同年3月場所後,朝赤龍宣佈退役。[3]。
朝赤龍於2017年4月獲得日本國籍,並在退役後襲名錦島年寄,留在高砂部屋從事教練工作。[3]2020年部屋師匠第七代高砂(朝潮太郎)年滿65歲退休,朝赤龍以年寄名跡交換的方式繼承為第八代高砂,並成為高砂部屋的新任師匠。[1]
戰績
[編輯]總戰績
[編輯]- 生涯戰績:687勝679敗36休(103場所)
- 幕內戰績:410勝442敗33休
- 幕內在位:59場所
- 三役在位:5場所(関脇2場所、小結3場所)
各段優勝
[編輯]- 十兩優勝:1回(2003年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2000年5月場所)
三賞・金星
[編輯]- 三賞:4回
- 殊勛賞:1回(2004年3月場所)
- 敢斗賞:1回(2006年5月場所)
- 技能賞:2回(2004年3月場所、2007年5月場所)
- 金星:無
各場所戰績
[編輯]1月場所 初場所(東京) |
3月場所 春場所(大阪) |
5月場所 夏場所(東京) |
7月場所 名古屋場所(愛知) |
9月場所 秋場所(東京) |
11月場所 九州場所(福岡) |
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2000年 (平成12年) |
(前相撲) | 西 序之口 #34 6–1 |
東 序二段 #80 優勝 7–0 |
東 三段目 #72 5–2 |
東 三段目 #45 6–1 |
東 幕下 #56 4–3 |
2001年 (平成13年) |
西 幕下 #47 5–2 |
西 幕下 #32 3–4 |
東 幕下 #41 5–2 |
東 幕下 #27 6–1 |
東 幕下 #10 4–3 |
東 幕下 #7 3–4 |
2002年 (平成14年) |
東 幕下 #12 5–2 |
東 幕下 #6 5–2 |
西 幕下 #1 5–2 |
西 十兩 #11 6–9 |
東 十兩 #13 10–5 |
東 十兩 #8 10–5 |
2003年 (平成15年) |
西 十兩 #1 優勝 11–4 |
東 前頭 #10 6–9 |
西 前頭 #13 8–7 |
西 前頭 #9 10–5 |
東 前頭 #4 7–8 |
西 前頭 #4 3–12 |
2004年 (平成16年) |
東 前頭 #12 7–8 |
西 前頭 #12 13–2 殊技 |
東 前頭 #2 3–12 |
西 前頭 #10 11–4 |
東 前頭 #4 4–11 |
東 前頭 #10 7–8 |
2005年 (平成17年) |
東 前頭 #11 8–7 |
西 前頭 #9 8–7 |
西 前頭 #8 8–7 |
西 前頭 #7 6–7–2 |
東 前頭 #10 6–2–7 |
西 前頭 #12 9–6 |
2006年 (平成18年) |
西 前頭 #4 5–10 |
西 前頭 #8 10–5 |
東 前頭 #2 10–5 敢 |
東 小結 1–2–12 |
西 前頭 #9 7–8 |
西 前頭 #9 10–5 |
2007年 (平成19年) |
東 前頭 #6 10–5 |
西 前頭 #2 4–11 |
西 前頭 #8 12–3 技 |
西 前頭 #1 8–7 |
西 關脇 8–7 |
西 關脇 3–12 |
2008年 (平成20年) |
西 前頭 #4 10–5 |
東 前頭 #1 8–7 |
西 小結 6–9 |
東 前頭 #2 8–7 |
西 小結 4–11 |
東 前頭 #5 5–10 |
2009年 (平成21年) |
東 前頭 #8 6–9 |
東 前頭 #11 9–6 |
東 前頭 #7 5–10 |
東 前頭 #12 9–6 |
東 前頭 #6 6–9 |
東 前頭 #10 8–7 |
2010年 (平成22年) |
西 前頭 #8 6–9 |
東 前頭 #11 10–5 |
西 前頭 #4 9–6 |
西 前頭 #1 4–11 |
西 前頭 #6 9–6 |
西 前頭 #2 6–9 |
2011年 (平成23年) |
西 前頭 #5 6–9 |
作假醜聞 比賽取消 |
西 前頭 #9 7–8 |
西 前頭 #9 6–9 |
西 前頭 #12 7–8 |
西 前頭 #13 6–9 |
2012年 (平成24年) |
東 前頭 #15 9–6 |
東 前頭 #11 5–10 |
東 前頭 #14 6–9 |
東 十兩 #1 9–6 |
東 前頭 #13 8–7 |
西 前頭 #9 0–3–12 |
2013年 (平成25年) |
西 十兩 #6 5–7–3 |
西 十兩 #11 10–5 |
東 十兩 #4 5–10 |
東 十兩 #8 9–6 |
西 十兩 #5 8–7 |
東 十兩 #4 6–9 |
2014年 (平成26年) |
東 十兩 #7 9–6 |
西 十兩 #3 7–8 |
東 十兩 #4 6–9 |
西 十兩 #6 7–8 |
東 十兩 #7 7–8 |
西 十兩 #7 9–6 |
2015年 (平成27年) |
東 十兩 #2 5–10 |
西 十兩 #5 8–7 |
東 十兩 #3 7–8 |
東 十兩 #4 10–5 |
東 前頭 #15 7–8 |
東 前頭 #16 3–12 |
2016年 (平成28年) |
東 十兩 #8 9–6 |
東 十兩 #2 4–11 |
西 十兩 #8 7–8 |
西 十兩 #10 8–7 |
西 十兩 #7 7–8 |
西 十兩 #9 4–11 |
2017年 (平成29年) |
西 幕下 #1 2–5 |
西 幕下 #9 3–4 |
西 幕下 #14 引退 –– |
x | x | x |
各欄數字按「勝-負-休場」表示。 優勝 引退 十兩・幕下 三賞:敢=敢鬬賞、殊=殊勛賞、技=技能賞 其他:★=金星 |
參考文獻
[編輯]- ^ 1.0 1.1 錦島親方が高砂部屋継承 年寄名跡を交換「力を合わせ、名に恥じぬよう精進」、千賀ノ浦部屋も名称変更. スポニチアネックス. 2020-11-26 [2020-11-26]. (原始內容存檔於2023-07-11) (日語).
- ^ 名門の高砂部屋、138年続いた関取が來場所ゼロに 朝青龍ら橫綱6人輩出 親方「真摯に。また新しい歴史」 (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館) 産経ニュース 2016.11.27 18:07 (日語)
- ^ 3.0 3.1 元関脇朝赤龍が引退 年寄「錦島」を襲名. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 2017-5-12 [2017-5-12]. (原始內容存檔於2020-11-11) (日語).
- ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi. szumo.hu. [2007-09-23]. (原始內容存檔於2021-03-06) (英語).