祇园祭
外观
祇园祭 | |
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别名 | 祇园御灵会 |
日期 | 每年七月 |
它主要分为八坂神社和各山鉾町主办的两种,其中山鉾町主办的祇园祭山鉾行事是日本重要无形民俗文化财产。山鉾町主办的祇园祭又可按时间先后分为前祭(さきのまつり)和后祭(あとのまつり)。
它是“京都三大祭”(葵祭、祇园祭、时代祭)之一,也为“日本三大祭”(祇园祭(京都)、天神祭(大阪)、神田祭(江户))与“三大曳山祭”、“三大美祭”(秩父夜祭(埼玉县秩父市)、祇园祭(京都府京都市)、高山祭(岐阜县高山市))之一。
历史
[编辑]公元863年(贞观5年),京都的神泉苑就已开始举办御灵会以超度因瘟疫而去世者的怨灵[2][3]。864年富士山喷发,869年贞观地震发生。接连不断的灾难加上平安京的潮湿气候导致大规模疫情爆发。869年,京都东山的祇园社(现今八坂神社)把牛头天王供为神祇祭祀后,瘟疫平息了下来。[4]在当时只有发生瘟疫才会举行法事,到了公元970年起才成为惯例,在容易发生流行病的6月7日跟6月14日固定举行。[4]到了日本改制新历后,则改在7月在京都市内举办例行祭典[4],祈求洁净及消除瘟疫。
祇园祭活动时程表
[编辑]- 7月1日 - 吉符入、长刀鉾町御千度。祭典开始。
- 7月2日 - 签取仪式、山鉾町社参。决定山鉾巡行顺序。从室町时代以来为避免竞争事先已定好顺序。接着、带头巡行(前祭)之先头长刀鉾、第5号函谷鉾、第21号放下鉾、第22号岩戸山、第23号(带头巡行(前祭)之最后)船鉾。后头巡行(后祭)之先头桥辨庆山、接次之北観音山、后头巡行(后祭)第6号南観音山、后头巡行(后祭)之最后大船鉾“签置仪式”与呼叫、顺序均已予先决定。京都市役所市委员会议场完成仪式。
- 7月7日 - 绫伞鉾稚儿社参
- 7月10日 - 币切、鉾立、神事用水清祓、御迎提灯、神舆洗
- 7月10日到13日 - (前祭)宵山建立、鉾的建立。山之分解收纳・鉾之组合、进行悬装。
- 7月13日 - 高桥町社参、稚児社参、久世稚児社参、(前祭)鉾引初、山建、舁初
- 7月14日 - 中之町御供、(前祭)宵々々山
- 7月15日 - 斎竹建、式包丁奉纳、伝统芸能奉纳、(前祭)宵宫祭、宵々山
- 7月16日 - 献茶祭、豊园社御真榊建、手洗井戸开き、神剣拝戴、石见神楽 、(前祭)宵山、宵宫神赈奉纳神事、日和神楽
- 7月17日 - (前祭)山鉾巡行。祇园祭之重要节目。
- 7月17日 - 神舆渡御出发式。
- 7月18日到20日 - (后祭)宵山建立
- 7月20日 - 宣状式
- 7月21日 - (后祭)宵々々山
- 7月22日 - (后祭)宵々山
- 7月23日 - 斎竹建、献茶祭、琵琶奉纳、(后祭)宵山
- 7月24日 - (后祭)山鉾巡行、花伞巡行、御真榊御祭、还幸祭。上述后祭的変化
- 7月25日 - 狂言奉纳
- 7月28日 - 神事用水清祓、神舆洗
- 7月31日 - 疫神社夏越祭。祭典结束。
在7月举办各种活动期间,相关祭典人士会遵守不能吃小黄瓜的戒律,小黄瓜虽然是夏季盛产蔬菜,但因小黄瓜的断面长得太像八坂神社的社纹而不敢吃小黄瓜。[4]
山鉾样式一览
[编辑]- 鉾
- 长刀鉾
- 函谷鉾
- 鶏鉾
- 月鉾
- 菊水鉾
- 放下鉾
- 船鉾
- 船鉾
- 大船鉾(后祭)
- 伞鉾
- 绫伞鉾
- 四条伞鉾
- 曳山
- 岩戸山
- 北観音山(后祭)
- 南観音山(后祭)
- 舁山
- 保昌山
- 郭巨山
- 伯牙山
- 芦刈山
- 油天神山
- 木贼山
- 太子山
- 白楽天山
- 孟宗山
- 占出山
- 山伏山
- 霰天神山
- 蟷螂山
- 桥辨庆山(后祭)
- 鲤山(后祭)
- 浄妙山(后祭)
- 黒主山(后祭)
- 役行者山(后祭)
- 铃鹿山(后祭)
- 八幡山(后祭)
参见
[编辑]注释
[编辑]- ^ “
祇 ”,意为“地神”,勿与“祗 ”(下面有一点,意为“恭敬”)搞混。
参考文献
[编辑]外部链接
[编辑]- 7月17日本京都祇园祭
- 京都祇园祭山鉾巡行相片 (页面存档备份,存于互联网档案馆)
- 2014年京都祇园祭山鉾巡行 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语)
- 八坂神社(日语)
- 日本祇园祭的由来 - 大纪元时报 (页面存档备份,存于互联网档案馆)